私刑はいじめの抑止力になり得るか

ビジネス

旭川の中学校で2年生の女子生徒がいじめを苦に自殺してしまった事件。

そのいじめの凄惨さや、教師達のあまりに身勝手で理不尽な物言いに憤りを感じる人も多いと思います。

そうした気持ちの表れなのか、いじめに関わった人物を特定し糾弾しようとする動きが加速しており、加害者と思われる学生や担任の画像がネットに出回っています。

そんな中SNSで議論になっているのが、

加害者に私刑を加え続ければいじめはなくなるのではないか

というもの。今回はいじめの加害者に対する私刑について、

・私刑がいじめの抑止力になるのか

・加害者への私刑は許されるのか

・私刑に加担しないために気をつけること

これらについてお話致します。今回の事件について思うところがある人は読んでみてください。

私刑が行われている背景

そもそもなぜいじめの加害者に対してな私刑が行われているのか。

それは加害者が裁かれていないからこれに尽きると思います。

問題が公になった時点で学校側がいじめを認め、加害者がきちんと裁かれていたならば、ここまでの炎上にならなかったはず。

しかし学校が隠蔽し事件を有耶無耶にしようとした結果、それに憤った人達によりここまでの騒動へと発展したのです。

法で裁けないのならメディアの力で裁く今回の私刑にはこういった正義感が少なからず働いています。

私刑でいじめを止められるのか

今回のように、いじめた人がことごとく私刑に遭うような世の中になれば、いじめをする人はいなくなるはず。
そう主張する人も少なくありません。
しかし残念ながらこれではいじめはなくなりません。
なぜなら私刑の本質はいじめと全く相違ないからです。
私刑の本質それは
集団が正義を持って少数悪を排除する
というものであり、
異端な人間を集団で攻撃する
いじめと全く同じことをしているからです。
結局私刑はいじめた人間をいじめているだけであり、そうした思想が肯定される限りいじめがなくなるわけがありません。

加害者への私刑は許されるのか

では第三者は加害者に何も言ってはいけないのか。
これは非常に難しいところですが、
批判はしても良いが、法に抵触する誹謗中傷や特定はすべきではない。
これに尽きるのではないでしょうか?
いじめをした人間は罰を受けるべきだ
これは全くその通りだと思います。
その罰として社会から糾弾されることも仕方ないことかもしれません。
しかし
だから何をやってもいい
これではいじめの加害者と何も変わりません。
事件に関して意見を述べ、学校や加害者生徒を批判するとしても、
それが誹謗中傷になるのか、プライバシーの侵害になっていないかなど
法に抵触していないという点には充分な注意を払う必要があります。
いじめを批判するためにいじめと同じような手段を取ることだけは避けるようにしましょう。

私刑に加担しないために

批判はしても誹謗中傷ような私刑に該当する行為をしないために、

情報発信の際には以下の事に気をつけましょう
・個人を特定できるような情報を流さない
・死ね、殺すなど誹謗中傷をしない
・不確定な噂を事実のように話さない
・自分達があくまで第三者である自覚を持つ
・当事者から何らかのアクションが来る可能性を考慮する

顔が見えないとはいえ、私刑を行う対象は同じ人間です。
上記の注意点を度外視し、行き過ぎた攻撃を行えば何らかの報復や、訴訟などを起こされるケースも充分にあるのです。
SNSでの意見の発信はくれぐれも慎重にお願い致します。

最後に

今回は私刑といじめについてお話しました。
いじめ加害者を炎上による私刑で裁くという今の構図。
果たしてこれは正義と言えるのでしょうか。
例えSNSであっても自分の発言には必ず責任が伴います。
それを忘れないように、正しく今の情報社会を生き抜きたいですね。

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