悪魔に最も近づいた男

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image: さてはてメモ帳

 

 

 

 

 

 

歴史上で魔術師と呼ばれている人物は何人か存在します。

ソロモンの指輪を有したとされる【ソロモン王】

秘密結社『薔薇十字団』の創設者にして白魔術を使ったとされる、【ローゼンクロイツ】

不老不死の霊薬『賢者の石』を生み出した【ニコラ・フラメル】

そして今回のテーマとなる、世界で最も悪名高き魔術師【アレイスター・クロウリー】

今回はそんな悪魔の男についてお話いたします。

アレイスター・クロウリーの生涯

クロウリーは、英国ウォリックシャー州の裕福な家庭に生まれました。

キリスト教信徒であった両親の厳しい教えを受けて、成長するにつれてキリスト信仰を拒絶するようになりました。

そして11歳の時に亡くなった父が残した莫大な遺産を相続し、1895年にケンブリッジ大学に入学、その過程で徐々にオカルトへの興味を高めていきます。

そして1898年に魔術結社「黄金の夜明け団」に参入し、数々の秘儀知識を習得していきます。しかし1900年教団内の内紛に巻き込まれる形で黄金の夜明け団を追放されてしまいます。

それから彼はアブラメリンと呼ばれる魔術への見識を深める。世界一周旅行もして見聞を広める。標高世界一の山であるK2への登頂にも挑戦するなど様々な経験を積み上げていきます。

そして1904年にエジプトのカイロで行ったホルス降臨の儀式の中で、アイワスという高次元の生命体との接触に成功。

アイワスから授かった知識や教えを書き記した書物、『法の書』の出版に至ります。

1907年にクロウリーは自身の魔術結社「銀の星」を結成し、自身を魔術師エリファス・レヴィ(1800年代に活躍した魔術研究の第一人者)の生まれ変わりとしてセレマ思想の伝道に取り組んでいきます。

1912年にはドイツのオカルト団体「東方聖堂騎士団」の主導権を握るようになり、そこから彼は「銀の星」と「東方聖堂騎士団」2つの団体の指揮を執るようになります。

そこでの活動が世間で注目されるようになると、複数の大衆紙から、世界で最も邪悪な男と名指しされ、麻薬と淫行に耽る悪魔主義者と言われるようになります。

その後の彼は第一次世界大戦、第二次世界大戦という大きな二つの戦争を経験しながらも、数々の書物を出版や、トート・タロットと呼ばれる彼自身の解釈を取り入れたタロットカードの作成等を行っていきます。

1944年、トート・タロットが完成しその解説書『トートの書』が発表されますがこの時クロウリーは慢性気管支炎の悪化による喘息症状に苦しめられており、そこからわずか3年後の1947年12月1日に72歳でその波乱の生涯の幕を引くことになります。

なぜ彼が悪魔のような男と呼ばれるのか

image: mail online

 

 

 

 

 

 

 

ここまでのお話を聞いて皆さんはアレイスター・クロウリーに対してどのような感想を持たれましたか?

オカルトに傾倒した怪しい男?単純にやべー奴?

まぁ、あまりよくない印象を持たれた方は多いのかなと思います。

彼の異常ともいえる行動の数々の背景には「法の書」にて説かれている「汝の意志することを行え、それが法の全てとなろう」という教えがあります。

さてこれはいったいどういう教えなのでしょうか?訳するならば

「自分をさらけ出し、心の赴くまま行動すること、それこそが法のすべてなのである」

このような意味になりますね、キリスト教を否定していた彼だからこそ、宗教ではなく自分の心に従って行動すべきだ、ということを説いていたのですね。

しかしながら、自分の心に従った行動をとることを世間は良しとしません。

むしろそういった集団の考え方や行動から逸脱し、自己の価値観優先の行動をとる人間は世間からは異常者として見られ、集団リンチのターゲットとされてしまうものなのです。

最後に

魔術師アレイスター・クロウリーは自分の心に従った行動を続けた結果、世間から批判を浴び続け、悪魔のような男としてその名悪名を轟かせることとなってしまいました。

世間から逸脱した主張をすると叩かれる、この傾向は現代の日本においても色濃く見られていますよね、某映画を作成された芸人さんなんかもいい例なのかなと思ってしまいます。

自分の思いはしっかり持ちながらもそれを内に秘め、他人とうまく協調しながら生きていく。

自分らしさも大切ですが、他人らしさももっと大事なわけです。

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