リアル呪術廻戦!?日本三大怨霊とは?

ホラー

皆さん【怨霊】と聞いて何を思い浮かべますか?

有名なところでは呪怨の【伽椰子】やリングの【貞子】といった映画に登場するようなキャラクターたちでしょうか。

現世に強い怨念を残しながら、亡くなってしまった者たち、というのはホラー映画とも相性がよく度々題材にされることがあるので、怨霊=ホラーの悪霊のイメージになるのはよくわかります。

しかし日本で怨霊と呼ばれている存在の中には実在する歴史上の人物が存在するのをご存知でしょうか?

しかも、その中には【学問の神様】と呼ばれる超天才や、天皇や一流貴族といった日本の歴史における超重要人物までいるのだから驚きです。

今回はその怨霊の中でもとくに有名な【日本三大怨霊】についてお話していきたいと思います。

平将門

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最初に紹介するのは【平将門】「平家にあらずんば人にあらず」でおなじみ平家の人間ですね。

彼は平安時代に天皇に代わる存在【新皇】を名乗り、国家転覆をはかった逆賊として知られていますが、一説では正義感が強かったが故に、賄賂ばかりを求め腐敗しきった役人たちに反旗を翻すために、反乱を起こしたとも考えられており、当時の平民にとっては英雄的な存在であったようです。

時代を変えるべく奮闘した彼ではありますが、最後は戦闘中に飛び交う矢にこめかみを撃ち抜かれるという悲運の最期を遂げてしまいました。

その後逆賊として討ち取られた彼の首は、切り取られ大衆のさらし者になるのですが、なんとその首は切りと取られてもなお恨み言を吐き続けたと言われており、その証言が平将門を怨霊と言わせしめることになりました。

平将門については【東京の守護者】とする説など、数多くの逸話が存在しているため、またの機会に詳しく触れたいと思います。

菅原道真

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太宰府天満宮にて【学問の神様】と呼ばれ祀られているのがこの【菅原道真】。

学問、歌、政治など様々な分野で名を馳せる、紛れもない天才です。

そんな彼の知恵にあやかりたいという思いで、受験や試験になどの前に合格祈願で太宰府天満宮に訪れる方は非常に多く、現代においてもその人気ぶりがうかがえる人物ですね。

さてそんな学問の神様である彼がなぜ三大怨霊に数えられるような存在となったのか、その理由には彼が受けた仕打ちが深く関わっています。

全盛期の彼はその優秀さゆえに、すさまじいスピードで出世していき、最終的には右大臣の地位にまで上り詰めました。皇族以外がこの地位になることは、当時としては異例であり、大変名誉あることではあったものの、それが皇族からの不満を募らせていくこととなりました。

その結果、当時の天皇である【醍醐天皇】の失脚を目論んでいるという、全く根拠のない疑いをかけられることとなり、疑いも晴らせぬまま左遷させられることとなります。

失意の道真は左遷からわずか2年後にこの世を去ってしまうのですが、ここからが悲劇の始まり。

都では天変地異が多発し、道真を左遷に追いやった関係者が続々と急死を遂げてしまうのです。人々はそれを道真の怨霊の仕業だと恐怖し、道真の怒りが収まるまで、道真に贈位を繰り返したのだとか。この天変地異や関係者の急死が道真の祟りの仕業だと、結びつけられた結果、菅原道真は三大怨霊の一人と数えられることとなりました。

死後も悪霊呼ばわりとは、彼も浮かばれませんね。

崇徳天皇

さて、最後に紹介するのが日本最強の怨霊とも名高い【崇徳天皇】。

彼はあまりにも不遇な生涯を送った天皇として有名です。

まず出生についても疑惑がもたれており、彼は鳥羽上皇の子とされながらも、祖父であるはずの白河天皇の子供ではないかといわれており、それ故に父の鳥羽上皇からは忌み嫌われることとなってしまいます。

それ故に即位後にも兄弟に上位を余儀なくされ、その兄弟が亡くなった際には兄弟を殺した疑いをかけられ、それが父である鳥羽上皇との仲を決定的に裂くこととなってしまうのです。

さらに彼の不幸は続き、今度は国家転覆の疑いをかけられてしまい、結果として本当に当時の天皇である後白河天皇との戦いを強いられることとなってしまうのです。

その戦いに敗れた彼は天皇として異例の島流しにあってしまい、流された先で謝罪の意を込めた写経後白河天皇に送るのですが、これすらも受け取ってもらえず、憤怒した崇徳天皇はそのまま自らの下を嚙みちぎり息絶えてしまうのでした。

そんな非業の死を遂げた崇徳天皇ですが、ここからが彼が怨霊と恐れられる理由。

この死を皮切りに、後白河天皇の近親者が相次いで亡くなるようになり、大規模な事件や事故が多発するようになってしまいます。

人々はこれを崇徳天皇の祟りだと噂するようになり、後白河天皇自身も精神的に参ってしまい崇徳天皇の怒りを鎮めようと尽力しますが、この祟りは一向に収まらず、結果として天皇家は実権を失い、武士の時代へと突入していくことになるのでした。

天皇家の時代を終わらせた崇徳天皇の呪い・・・恐るべしですね。

最後に

今回は【日本三大怨霊】についての紹介でした。

歴史を紐解いてみていくと、当時の災害や不審死に理由をつけるために、死んだ人間を怨霊と見なすようになったケースが多いようですね。ある意味その死すらも政治に利用されたというところでしょうか。

死んで物言えぬ人間をさらに怨霊とみなして勝手に恐怖する、あまりにも身勝手なその姿勢こそ本当の怨霊のように感じてしまうのですが、それが我々人間というものなのかもしれませんね。

生きている人間が一番怖い、本当によく言ったものですね。

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