【深堀】リアル呪術廻戦!?東京の守護者平将門

スピリチュアル

以前日本三大怨霊についてご紹介した際に、平将門についてご紹介しましたね。

リアル呪術廻戦!?日本三大怨霊とは?

※21年6月2日時点で私のブログの一番の人気記事です。

よかったら読んでみてください!

今回はその平将門について深堀していきたいと思います。

三大怨霊の一人に数えられるほどの強い悪霊となったことで知られる平将門。

しかし同時に彼は東京の守護者として今でも東京を天変地異などから守っていることをご存じでしょうか?

死んだはずの彼が守護者?一体どのように?

今回はそんな平将門の謎に迫っていきましょう!

平将門の首塚

引用:Wikipedia(将門塚)                                                     

平将門は国家転覆を目論み反乱を起こしましたが、京都にて殺害されてしまいます。

そしてその首は京都にてさらし首になったのですが、なぜか彼の首塚は東京の大手町に存在しています。

これはいったいなぜなのでしょうか?

彼の首はさらし首になったのちに、自らの意志で東京方面まで飛んで行ったという逸話が残されているのです。

首だけになっても動ける、さすがは怨霊と言ったところですね。

その怨霊の魂を鎮めるべく、その場所に首塚が作られました。

さらにそこからほど近い場所に東京最強のパワースポットとして知られる神田明神も建造されることになったのです。

将門を守護霊に変えたのは・・

Tokugawa Ieyasu2.JPG

さて怨霊として東京に降り立った平将門。

彼がなぜ守護者と言われるようになったのか、それは都を京都から江戸に移したとある人物が関係しています。

それは江戸幕府を開いた武将「徳川家康」

彼は江戸幕府を盤石なものにするべく将門の力を借りることを思い立ったのです。

当時の江戸は水源こそ豊かであるものの毎年川が氾濫してしまうような不安定な地域であり、とても都に適した場所とは言えませんでした、

そこで家康は大規模な治水工事を行うとともに、東京に災害が降りかかることがないように神田明神、首塚を含む7つの社を東京に建築することにしました。

さらにそれを平将門が信仰していた妙見菩薩の象徴、北斗七星の形になるように配置したのです。

家康はこの北斗七星が江戸の結界となり、降りかかる災いから都を守ってくれることを期待しました。

その願いもあってか江戸幕府は260年もの長きにわたり、続いていくことになるのです。

明治政府VS平将門

江戸幕府が討幕されたことで、再び日本の主権は武士から天皇家に戻ることになりました。

さてそうなると問題になるのが東京の守護者たる「平将門の結界」

皇族への反逆者である「平将門」が、後皇族を守ってくれるとは限りませんからね。

そのため、明治政府は平将門の結界を壊し新たな結界を作ることを決めました。

その結界というのが東京を円で囲う守護陣「山手線」です。

新たな結界として山手線を機能させることで、平将門の北斗七星を引き裂こうと考えたのです。

そして将門からの報復を恐れた明治政府はさらに明治政府を守るもう一つ策を考えました。

それが靖国神社の建設。

2018 Haiden (Yasukuni Shrine).jpg
引用:Wikipedia(靖国神社)                                                     

靖国神社は神田明神の方向を向くように建てられており、その目的は平将門の怨霊を食い止めることだったのです。

将門の呪い再び

こうして政府は万全の態勢で将門の結界を崩そうとしたのですが、これを阻害するとある事件が起こります。

それが関東最悪の自然災害となった「関東大震災」

この災害によって山手線の建設計画は大幅に遅れることとなりました。

写真右上を見るとわかるようにこの大災害で周りがすべて更地になったにもかかわらず、首塚が壊れることはありませんでした。

そのことからこれは平将門の逆鱗に触れたために起きた震災だと言われています。

さらにその後首塚を撤去しようという試みもあったのですが、その撤去工事の関係者が相次いで不審な死を遂げたことで政府が将門の呪いの存在を確信。

この撤去工事は中止されることとなりました。

こうして今でも平将門の結界は東京に残っているという訳ですね。

最後に

さて今回は東京の守護者「平将門」についてお話してみましたがどうでしたでしょうか?

謀反を起こした大罪人というイメージが先行しがちですが、実は将門は今でも守護者として東京を守り抜いているのです。

彼は貧しい民を救うために当時の皇族に戦いを挑んだとも言われているので、彼の本来の姿は国民思いの偉大な人物なのかもしれません。

見方が変わると評価ががらりと変わる、歴史の面白いところですよね。

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